清酒の歴史 4

明治に入って、清酒についても科学的な研究が行われるようになりました。


明治初年に来日したドイツ人のコルシェルトやイギリス人のアトキンソンは、日本の酒造りにおける火入れがパスツウルの低温殺菌法よりもっと古い時代に行われていたことに驚嘆し、報告に書き残しています。


明治から大正昭和にかけての醸造技術の流れは、発酵化学の解明・微生物の合理的な利用、防腐剤の使用による火落ちの防止等を経て、高度精白を可能にした精織の出現、木桶からホーロータンクへの移行、ビン詰による出荷などなど・・・


目まぐるしいものがあります。


さらに、第二次世界大戦から戦後にかけて、アルコール添加や増醸法の採用など思い切った製造法の変化がありました。


昭和39年(1964)には近代化五ヶ年計画に沿って新しく企業の構造を集約化するなどの措置がとられていますが、製造工程の近代化のため、連続蒸米機や自動製麹機、自動圧搾機など機械の導入による合理化とスケールメリットの追求が顕著になっています。


昭和48年には明治以来使用されていた防腐剤サリチル酸の使用を全く廃止したことなどは、技術的には画期的な変化であります。

清酒の歴史 3

新しく京都にかわって政治的な首都となった江戸は、酒の大消費地となり、各地の酒は江戸へと集まってきました。


当時の酒造りは、すでに中世にその萌芽をみた諸白の造り(掛米灘米とも白米でつくる酒造法)になっており、仕込みも三段仕込みが行われています。


また、それまで季節を問わず年中造っていましたが、冬の寒い時期に造ったいわゆる寒造りが、品質的に最も優れた製法であることが明らかにされました。


幕府は寛文10年(1670)に秋の彼岸以前の酒造を禁じ、寒造り中心の政策がとられています。


そして、この寒造りの技術や六甲山系の山々から流禰ちる急流を使った水車による精米技術を利用して、延びのきく酒の量産化と酒質の改善に徹します。


海運を利した灘五郷の酒が、かの伊丹、池田の酒にかわって発展していくことになります。


この交代は単なる経済的なものではなく、酒にたいする嗜好の問題、すなわち京都・奈良の甘口酒に比べればやや辛目といわれた池田の酒の、やや甘口の酒に対して灘の男性的な酒がこれに代わったものとされています。


灘はこの後長く日本の酒造りの中心地として栄え現在にいたっているのですが、当時の酒造りは、諸白・生もと、三段仕込み、膠は袋に入れて搾って清澄な酒を得ること、これを火入れすること・・・


など、基本的な技術は今の酒造りと殆んどかわっておりません。

清酒の歴史 2

平安朝から鎌倉、室町へと時代が移るにつれて、朝廷で行われた酒造りは、神社や寺院でつくられるようになり、室町時代に入りますと、民間の専業者による商品としての本格的な酒造りが行なわれるようになりました。


室町時代の酒造りは盛んであって、京都とその周辺には、300軒以上の酒屋があったといわれます。


その頃の酒造法については、現在の三段仕込の原形ともいえる麹と米と水を2回に分けて仕込む方法や乳酸菌の応用、酒の火入れ殺菌が行われていたことが「御酒之日記」や「多聞院日記」(1478~1618年)に詳細に記録されています。


室町から安土桃山時代にかけて、京都、奈良以外の地方でできたいわゆる田舎酒が少しずつ頭を出し始めます。


江戸時代にはいると、大阪に近い伊丹、池田がすぐれた用水と交通の便に恵まれて、ここに酒造業が興りました。


江戸の初期100年の間、伊丹、池田の酒は全盛を極め、京都、奈良の甘口酒に対してやや辛目の池田の酒は、大いにもてはやされたといわれています。

清酒の歴史

清酒を日本の酒あるいは米の酒としてとらえるならば、その起源は、我が国で水稲の栽培が始まった今から約2千年前の弥生時代にまで遡ることができるかもしれません。


古代の日本の酒の記録としては、3世紀頃の中国の歴史書「魏志倭人伝」や「古事記」(713年)、「日本書記」(720年)、それらと相前後して編纂された「播磨風土記」などの「風土記」があります。


「魏志倭人伝」の中には、日本人は酒を嗜み、喪に際しては人が集まって酒を呑む習慣があったことなどが記されています。


記紀の神話の中にもお酒の話しはいくつとなく出て来ます。


また、「播磨風土記」には、カビによる酒がでてきて、米と麹による酒がどのようにしてできたものかを窺い知ることができます。


奈良時代の律令制度下の官制や格式を書いた「延喜式」(927年)には、いろいろな酒の造り方が詳しく書かれておりますが、そのほとんどが米の酒です。


その中には膠を搾って澄んだ酒を得る技術など、現在の清酒造りの源流をみることができます。


そのころの酒造りは神事の一環として行われており、主に朝廷や神社で造られていました。

上手なお酒の保存方法

よいお酒を造ろうとするメーカーおよび技術者の真摯な努力、原料を厳選し、ひたむきに酒造りに打ち込む姿勢は、自らお酒にあらわれるものです。


お酒の香味と共にそれらのこともよく味わっていただきたいものです。


お酒は永く保存するとよくなるという話があります。


貯蔵により香味の調整を図ることをいいますが、はじめから香味に癖の強いお酒は長期間の熟成を要します。


ウイスキーやブランデーのように、その癖も樽貯蔵によってすばらしい風味になるものも少なくありません。


しかし、新酒から香味のまとまりのよいものもあり、かえってその風味を好む人もおります。


清酒の生酒、やワインのヌーボ等はその例でしょう。


中には骨董的な意味で年代を強調するものもありますが、これは本来の風味とは関係がありません。


むしろ眺めて楽しむものでしょう。


一般に、一旦生産者の倉庫から出荷されたものは、当然飲み頃になっており、それ以上保存することは無意味です。


むしろ保存中の劣化に注意する必要があります。


とりわけ味を主体とする醸造酒では、保存のための次の3つの注意が必要です。


(1)光を当てない。

(2>温度を上げない。

(3)空気に永く触れさせない。


特に高温は禁物です。河成鎮作氏によると、近頃の品質に熱心な小売屋さんでは冷蔵庫を持っているところも増えております。


このことは、お酒の品質にとってすばらしいことです。


但しラベルを汚さないように庫内の湿度にも気を付けましょう。

よいお酒とは 2

蒸留酒では、発酵したもろみの味がそのままお酒の味になるのではないから、原料の品質は適当でもよいようです。


しかし、単式蒸留のように原料の特性を重んじる場合、蒸留前のもろみの成分がそのまま製品の香気に影響を与えるので、やはりよい原料が必要です。


また、発酵したもろみを蒸留するとき、もろみの発酵が悪かったり、不完全だと、蒸留したときの収量が悪くなるばかりでなく、品質も悪く、熟成に時間を要します。


蒸留の操作でも加熱の強さ、留分のとり方でも品質が大きく変ってきます。


混成酒の場合も原材料及び熟成の条件によって品質は様々。


その中から最適な条件を捜し出すことに工夫が必要です。


製造されたばかりのお酒は一般にそれぞれに最適の条件で貯蔵することによって熟成が図られます。


熟成の目的は品質の向上および安定化にあるわけですが、そのための期間はお酒によってまちまちです。


貯蔵条件が悪いと品質が劣化することもあり、細心の注意が必要です。


一般に荒々しい酒質のもの程、長期間の貯蔵によってまる味を増し、品質が向上してきます。


貯蔵中、お酒の変化を確かめながら管理することは大事な作業であり、また造る人の楽しみでもあります。

よいお酒とは

一般的によいお酒が造られる条件について述べてみたいと思います。


お酒にはそれぞれに特徴があり、いずれの場合も香りや味が鑑賞の対象になります。


どちらかというと醸造酒は味、蒸留酒は香りの要素に重きをなしております。


先ず、洋の東西を問わず料理人がおいしい料理を作る条件の第一によい材料、すなわち「よい原料」を手に入れることをあげています。


醸造酒では当然それと同様のことが大きく求められます。


単発酵法によるお酒は一般に水を用いませんが、デンプン質原料の場合、大抵水を多く用いますので、水質の良さが重要になります。


お酒の原料が農作物である限りその年の気象条件に品質が左右されやすいのは当然ですが、穀類ではよいところから輸送する方法や清酒の原料である米のような場合、掲精により白く磨くことにより品質を向上する手段もあります。


果実等の場合はとりわけ収穫期の天候などに恵まれてよいぶどうが採れた年のものをヴィンテージ(収穫年)と称して、その年の製品を珍重しています。


醸造技術面では、単発酵、単行糖化発酵、並行糖化複発酵の順に工程が複雑になり、昔はいろいろ失敗もあったようですが、今日では、ほぼ技術的に安定してきております。


しかし、特に高品質のものを造る場合はとりわけ細心の技術と感が要求されることは云うまでもありません。

ハコネラン

花茎は高さ8~15cm、根もとに1枚の葉があります。

葉身は長楕円形、先は鈍く尖り、縁辺は波うっています。

花は6~7月に咲き、黄緑色で3~6個つき、唇弁には赤紫色の細点があり、縁辺にぎざぎざがあります。

よく似たコイチョウランは亜高山帯に生え、葉身は広卵形で唇弁の縁辺は全縁である点で異なっています。

丹沢、箱根のほか、秩父、伊豆、安部峠、愛鷹山と、かけ離れた奈良県大台ケ原にも分布しています。

伊豆や箱根ではアセビの林床に、丹沢、安部峠ではスズタケ群落の腐葉土上に生えています。

最近ではコイチョウランと同属に扱われます。

今は異名とされる前川文夫氏のたてた属名の"ハコネアステ"は、箱根の住人という意味だそうです。

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ハマカキランとクゲヌマラン

この2つは、ともに神奈川県の湘南海岸が基準標本の産地となる、地生ランです。

海岸のクロマツ林の砂地に生えますが、海岸の整備が進み、生育環境が失われてゆくとともに、個体数は少なくなっています。

ハマカキランは、牧野富太郎氏が記載の伴わない学名を発表したのが1918年。

後に小山鉄夫、浅井康宏氏がアオスズランの変種に位置づけました。

アオスズランとは分布域、生態が異っているほか、全体に大きく、丈夫で花は6月下旬から7月上旬に咲き、桃色、黄緑色など変異が多いです。

分布域は青森県から愛知県まで広がっています。

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クゲヌマランは、1935年ごろ東京大学の植物生化学者の服部静夫氏が鵠沼で保養中に発見され、前川文夫氏が新種として記載しました。

ギンランに近縁の種で、最近はその変種に扱われることが多いです。

ギンランより大きく、葉は多数つき、表面は光沢があります。

5月に白色の花を多数つけ、唇弁の基部は距となりません。

鵠沼の生育地は失われ、"幻のラン"などといわれていましたが、1983年に同地に住む塩沢努氏が、100株ほど生えている所を発見し、話題になりました。

しかし乱穫を恐れ、その場所は明きらかにされていません。

本種は青森県から和歌山県、小豆島に分布します。

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マヤラン

マヤランは、シュンラン属の緑葉を欠く腐生ランです。

花茎は高さ20~30㎝。

上部で枝を分け、6月下旬から7月上旬、ときに8~9月にかけてシュンランに似た花を開かせます。

花冠は白色で、がく片には紅紫色の筋、花弁には紅紫色の斑紋があります。

近中国やタイ、カシミールに分布しているものと同一種であることが明らかになり、学名も改められました。

スダジイ、タブなどの照葉林内の腐葉土の多い林床に多く生えますが、クヌギ、コナラの二次林内やヒノキ、スギの植林地にも生えます。

この属の無葉ランには、ほかにサガミランとサガミランモドキが神奈川県から報告されています。

1978年、泰野市でサガミランと思われるものが発見され、柳川、高橋、大場(1981年)によって比較検討が行われた結果、マヤランの単なる色変り(淡緑色花)であることがわかりました。

これはサガミランモドキとともに、マヤランの一型として扱われることになりました。

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